奥本よしふみ Official Site

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はじめまして、奥本よしふみと申します。

私が小学校に入るか入らないかの頃、
祖父は毎週日曜日に年季の入ったスクーターの後ろに私を乗せ、
山歩きに連れて行ってくれました。

たまに強くないお酒を飲んで気分が良くなった時には、
「佳史ちゃんが学校に通う時には、良い先生がしっかり勉強おせてくれるから心配せんでええで。」
と言っていたのを憶えています。

6年前にPTA会長をお引き受けした時、
近所の方から
「奥本さん、PTA会長やらはるん?みんなやってはったから適役やわ。頑張ってくださいやぁ。」
と声を掛けられ、「みんなって誰のことやろ?」と思うことがありましたが、
後日その理由を知ることになります。

それは、父が白鳳中学校PTAの会長や當麻町の教育委員を歴任していたこと、
祖父も昭和30年代に當麻小学校育友会の会長を歴任しつつ、
村議会議員・町議会議員として教育行政に取組んでいたこと、
更には曽祖父も村長として、戦後の混乱期の学校運営を支えたことなど、
古い記録や多くの方の話で知ることとなり、
「血は争えんなぁ。」と、妻と笑ったことがありました。

私がこれまで関わってきたPTA活動や
難病児支援ボランティアの活動を通じて感じることは、
子供は家庭の中だけで育つのではなく、学校・地域の中で人と人との繋がりが土台として必要であり、
子供に地域との繋がりを作ってあげるのは大人の役目で、そのためには大人が自分達のまちの在り方を
真剣に考え行動に移す必要があるということです。

「地域を考えることは教育を考えることに繋がっている」のです。

「米百俵の精神」で有名な小林虎三郎は、
「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる。」
と教育投資への重要性を説きました。

振り返ると旧新庄町・當麻町の時代には、教育施策が重視され潤沢な教育予算が学校に充てられていました。
最先端の設備導入で学校をサポートする新庄町と、
教育財団を設立して、学校現場の要望には最優先で答えられる体制を作った當麻町、
いずれも将来への投資が、教育の充実と良好な子育て環境の構築に繋がっていました。

少子高齢化の時代を切り開いてくれるのは、
これからの子供達です。
今こそ往年の「教育のまち」を復活させる必要があります。